アントワープからヴェネツィアへの経路考察

イタリアの最初の訪問地がヴェネツィアであることは確実らしい。1600年5月9日にアントワープを発って、ルーベンスはどのような経路をとったのか。

当時フランドル(フランダース)地方、北ヨーロッパとヴェニスは交易が盛んで海路、陸路とも整備されており、交通路は沢山のルートがあったようだ。しかし、必ずしも平坦ではなくアルプス越えがあるではないか。

アントワープからヴェネツイアへ~徒歩では233時間  by  GoogleMap

因みに、スマホという文明の利器でアントワープからヴェネツィアと検索すると、地図が示してくれる。西暦2018年、徒歩で233時間(9日あまり)、車だと15時間27分と即座に出てきた。吹き出してしまう。24時間ずっと歩いたり、運転することが可能か?
そのことはともかく地図に現れたルートを基に考え出したのが以下の経路である。

ルーベンスはアントワープを出発する。徒歩または馬、乗合馬車でケルンに向かう。ライン川から舟を使うのだが、川上リの舟はどのようなものであったろうか?動力のない時代である。河に沿って馬車で行ったのではないか?ミュンヘンを経てライン川からマイン川に乗り換える。
そしてコブレンツでドナウ川を上りスイスへ入る。イン川に出てまた上り、インスブルックからブレンナー峠へ出る。これはアルプス越えの中では標高が1374mと低く、ゲーテ、ニーチェ、モーツアルトも越えたと言われる有名な峠である。古くローマ兵もこのルートで現在のドイツに入ったようだ。
峠を越えて、イタリアに入ってからは ポー川と出合い、流れと共に下って、ヴェニスへ到着。
あくまでも私の推理であることを付け加えておく。荷物を携えての弟子との二人旅としては、1か月はかかったであろう。

又、ルーベンスはパリへ出たという説がある。
こうなると陸路としてはかなりややこしい。街道筋も変わってくるしアルプス越えの峠も違うルートである。途中の歴史的、文化都市を横切って最も東に存在するヴェネツィアへ直行するとは考えにくい。
そこで、パリからリヨンを経てマルセイユへ出る。そして帆船で、地中海からアドリア海に入りヴェネツィア入港、到着か?
これはとてもすんなりと受け入れられる。
一番納得がいくルートである。