ルーベンスの部屋を後にし、次からはまたまた歴史画の世界、「鏡の間」「キューピッドとプシュケの間」「ムーア人の廊下」(片側に壁のない柱廊で、天井にキューピドとアラビア風館を描いた柱廊)、天体の12宮図(特に青色ト金色のドットが美しかった)、豪華なベッドのある部屋、鷲の間、4枚のタペストリの豪華な部屋、皇后の部屋、(1580年代)
「イサべラ・デ・エステの部屋」は思ったよりも小さな部屋で何も飾られていなかった。すべてルーブル美術館にあるという事である。
絵本の世界を旅しているようであった。異教の神々が生き生きと描かれているが それもマントヴァの町自身の守護神がローマの神々であることから考えるととても納得がいく。神話の世界のことに誰が目くじらをたてるだろうか?
私たちが目にしたのは大きな宮殿のほんの一部かもしれなかったが その広さは想像がつかなかった。
宮殿を後にして 私達は裏方の細い道を歩いていると 開けた公園にでた。
中央にイタリア統一の父ガリバルディの像が立っている。
歩いてきた細道の傍の建物の壁面に
なんたる偶然であろう。
VIR
RUBENS
“PIETRO PAUL RUBENS
PITTORE FIAMMINGO(1577~1640)
GIA VIA CORTE
とベージュ色の壁に白枠で明確に記されている。
間違いではない。“ルーベンス通り”である。このあたりに住んでいたのか?
不思議なことが起こるものである!
かのジュリオ・ロマーノは、自分の館を建てて住んだそうですから、ルーベンスも良い住居を与えられていたのかもしれない…・
偶然に見つけたこの快挙!
400年前と変わっていないこの通り――ルーベンスも頻繁に通った通り――を行ったり来たりしてそぞろに歩いてみた。昔の石畳であった。