ベルギーからドイツに入ると国の違いが感じられます。ベルギーが“柔”とするとドイツは良い表現が見つからないが“硬水”といってよいでしょうか、我が国日本と似ているのです。
ライン川のほとり、大聖堂の裏に格式の高いコンサートホールがあるのですが、その敷地の横に歩道がありライン川河岸のほとりに下る道が続いています。ライン川の畔で散策を楽しむので多くの観光客が行き来しています。その敷地を横切ると近道になるので多くの人が敷地に入ろうとしますが、おっとこどっこい!警備員が4,5人もいて入らないよう注意するのです!
こんなことを我が国でも経験しますでしょう?官のすることはどこでも同じようです。
さて、ケルンにある美術館をご紹介しましょう。Wallraf-Richartz Museumといいます。大聖堂から歩いて10分ほどのところにあります。
美術館を訪れた日は日曜日でもあり、同時に開催されている「アメリカの原点」の展覧会に多くの人が足を運んで大そうにぎわっていました。
目的が違うこちらの方はゆっくり鑑賞できました。
バロックの作品がある2階に入って正面に飾られているのが、ルーベンス!
ルーベンス「聖フランシスのスチグマータ(聖痕)」1616年
ケルンには古くからの修道院がいくつか存在していましたが アントワープのカプチン派の修道会は勢いがありました。ライン川地方の都会、ケルンにカプチン派修道院を建てて、聖フランシスの祭壇画をルーベンスに依頼しました。1616年10月奉献しました。
聖フランシスにまつわる書物が中世から存在し、CONSIDERAZIONIと呼ばれていました。ルーベンスはその中から聖フランシスの逸話をもとに描きました。
ある夜フランシスは断食して祈りを求めて岩山へ入っていきました。
突然雲が分かれて空から天使の光がさしてきました。目を覆うほどのまぶしさでした。天使になったキリストが現れていました。
びっくりした聖フランシスは、天使キリストと何か言葉を交わしながら、目と目を見つめあい、体と体を出合わしている、救い主の十字架の傷跡が聖フランシスにも残った瞬間です。聖フランシスは十字架の苦しみを共に受けたい燃えるような願望がありました。胸にも両手にも聖痕を見ます。
ルーベンスは聖フランシスをウンブリアのやせた体つきではなく、フランドル人の立派な体格に描きました。貧困のイメージはありません。
ルーベンスの祭壇画は新しくやってきたカプチン派の力強い宣伝になりました。
この美術館にはルーベンスの“マントバの仲間たち”もありました。
有名な「聖家族」1634年もありました。
ケルン大聖堂からほど近いですし、ほかにも、ルノワール、モネ、ゴッホ、ムンクなど名画がそろっていますので、ケルンに行かれた際には是非立ち寄ってみてください。
Wallraf-Richartz Museum
https://www.wallraf.museum/
月曜日 休館