ミラノ~ミラノには2枚の「最後の晩餐」がありました その2

◇ブレラ美術館

ルーベンスの「最後の晩餐」  油彩画 304×450㎝

ルーベンス『最後の晩餐』ブレラ美術館

ルーベンス『最後の晩餐』ブレラ美術館

1631年から1632年にかけてメヘレンの聖ロンバウツ教会の祭壇画として描いた。どのような経緯でここに所蔵されたのか?
ナポレオンがイタリアにルーブル美術館のような美術館を建てようと意欲を燃やして建てたとのことです。

弟子たちが四角い机を囲んだ正面にイエスがパンを祝福しています。
ユダが手前に描かれこちらをぎろりと向いている。足許には犬がいて寓話的です。
パンとワインを祝福するイエスの姿の手前に裏切るユダの姿が観客を眺めて写しだされています。

印象的なユダの眼

印象的なユダの眼

これはルーベンスがミラノでレオナルド・ダ・ビンチの“最後の晩餐”を見たずっと後、約20年後依頼を受けて描かれました。

この祭壇画の構図が、巨匠の師であるオットー・ヴァン・ヴェーンが1592年アントワープの大聖堂から注文を受けて描いた祭壇画に類似していることに注目するのです。
大聖堂に現在も飾られているのですが、聖餐式のために捧げられたものです。いかに似ているか比べてみましょう。
(350×247㎝) キャンバス、油彩

オットー・ファン・フェーン『最後の晩餐』

オットー・ファン・フェーン作『最後の晩餐』

 

◇アンブロジーナ図書館
ルーベンスのラオコーンの素描画が数枚あるという事で行ってみましたが、残念ながら展示されていませんでした。

アンブロジーナ図書館

アンブロジーナ図書館

 

ローマ~サンタ・マリア・ヴァリチェッラ教会(キエザ・ヌオーヴァ教会)

終にルーベンスの祭壇画にまみえることが出来た。現存の教会に飾られている。
サンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ教会(通称キエーザ・ヌオーヴァと言われるオラトリオ修道会)の主祭壇である。

“天使たちの崇敬を受ける聖母子の画像”
スレートに油彩 425×250㎝

伝統的な荘厳且つ華麗な教会の主祭壇に飾られていた。主祭壇の両脇に飾られている2枚も健在であった。
“聖グレゴリウス、聖マウルス、聖バビアヌス”   スレートに油彩 425×280㎝
“聖ドミティラ 聖ネレウス 聖アキレウス”    スレートに油彩 425×280㎝

楕円形の中がはっきり見えないかもしれないが、ここには聖母子像が描かれていて
取り壊す前の教会にあったもので大切に保護したいという事で祭壇画に組み入れる要望があったという事である。
それにしても主祭壇の装飾は、このように壮麗且つ豪華であるのに驚く。

キエザ・ヌォーヴァ教会

キエザ・ヌォーヴァ教会

ルーベンス『聖グレゴリウス、聖マスルス、聖パピアヌス』サンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ教会

キエザ・ヌォーヴァ祭壇

キエザ・ヌォーヴァ教会主祭壇

キエザ・ヌォーヴァ主祭壇

キエザ・ヌォーヴァ祭壇

 

聖ヴァリチェッラ教会は地元に根付いていた。教会の扉が閉まることはなく、脇祭壇で朝8時にミサが始まったので、参加させていただいた。

白いガウンを着た先導者、お供がしずしずときて一同美しい声で、聖歌を捧げる。しばらくして、司祭と思しき方が登場してお話をなさる。イタリー語なので全く分からなかったが神の言葉であろう。祈り、聖歌、聖餐が始まり一人一人前に出て司祭から丸い御煎餅を口に入れていただいたり、手に置いて頂いたりした。2~30分くらいでしたが朝の通勤前、仕事の前、一日の始まりに参加する様子であった。50人くらいが集まったミサであった。

私は二日にかけて夕方と早朝とこの教会を訪れた。祭壇画の光のあたりかたを見たかったがあいにく曇り、雨のお天気であったので目的を達成できなかった。

告解を待っている方を見受けた。言葉が通じれば私も体験したかった。信者は毎週一度は告解をするらしい。聞くところによるとカトリック信者になることは厳しいらしい。小学校4,5年で宗教の時間が始まり、成人になる間に講義を受けなければならない。受講証明書がなければ結婚も許されないとのことである。
沢山の教会があり、派が違っていても行き着くところはバチカンとのことであった。

ルーベンスに告げたい。
祭壇画が400年も教会に大切に飾られていることを。
教会も地域の人々に守られていることを。

祭壇画は3枚とも美しく管理されているように見受けられたが 聞くところによるとここに飾られている祭壇画は全部モザイクであるとのことであった。真偽のほどは定かではないが守っていくことはそういうことかもしれないと素直に思った。
フィレンツェモザイクというのは、原色の色を薄く切って、画の図形に張り合わせていく・・・色合わせをするわけであるから、気の長い手仕事で、果てしなく時間がかかることである。
これ自身が美術品であるとミケランジェロが言っていたことを思い出す。
ここでも、色合いが教会に溶け込んでいて、少し離れて鑑賞する者には、油彩とモザイクの違いが判らない。違和感は全く持てなかった。
モザイクの方が価値が高く、手入れもいらず永久保存が効くという点で合理的である、そうなると、本物の芸術作品はいずこに保管されているのでしょうか?

キエザ・ヌォーヴァ主祭壇天井画

キエザ・ヌォーヴァ主祭壇天井画

ルーベンス『聖グレゴリウス、聖マウルス、聖パピアヌス』

ルーベンス『聖グレゴリウス、聖マウルス、聖パピアヌス』

ルーベンス『マドンナ・デ・ラ・ヴァリチェッラ』

ルーベンス『マドンナ・デ・ラ・ヴァリチェッラ』1608年 キエザ・ヌォーヴァ

ルーベンス『聖ドミティラ、聖ネレウス、聖アキレウス』

ルーベンス『聖ドミティラ、聖ネレウス、聖アキレウス』

ルーベンス『マドンナ・デ・ラ・ヴァリチェッラ』

ルーベンス『マドンナ・デ・ラ・ヴァリチェッラ』

二日間にわたってこの教会を訪れて、私はルーベンスと祭壇画とのふれあいを大切にした。そして、ルーベンスが8年間イタリアで培ったものが開花して、天才ぶりが発芽していたからこそ、現在ここに存在できたのだと思った。

この3枚の祭壇画を描き終わり 主祭壇画が大理石で装飾された神聖な除幕式にはルーベンスは参加出来なかった。母危篤の知らせが届いたのである。
1608年10月の末に急ぎ旅支度をして、マントヴァ公の宮廷画家も辞して、故郷アントワープに戻った。
そして、彼が63年の生涯を終えるまで、再びローマ、いいえ、イタリアを訪れることは叶わなかった。

 

キエザ・ヌォーヴァ正面の広場から

キエザ・ヌォーヴァ正面の広場から

キエザ・ヌォーヴァ

キエザ・ヌォーヴァ