アントウェルペン 聖母大聖堂『マリア被昇天』

1611年、大聖堂の参事会会員は、新しい大理石主祭壇のために「聖母被昇天」の制作を依頼しました。
聖母マリアが天に召される物語は、聖書に書かれていません。
それは中世に生まれたもので、そのためプロテスタントは拒絶したのでしたが、その拒絶がかえってカトリックのマリア熱に火をつけました。
最初に描いた作品は、大きさが小さかったため却下され、15年たって(1625-1626年)再度製作しました。

聖母大聖堂『マリア被昇天』
聖母大聖堂主祭壇『マリア被昇天』

聖母被昇天は、
布教のために様々な方向に向かった12使徒たちが、マリアの死が近づいた時に マリアの死とその3日後に彼女が墓から蘇り、天使たちに天国に連れていかれるところを目のあたりにした場面が描かれています。

1625年、妻イサベラ・ブラントがペストで病死したこともあって、
ルーベンスは彼女を偲んだのでしょう、ここに登場させています。

聖母被昇天に描かれたイザベラ
聖母被昇天に描かれたイザベラ


人目を惹く赤い衣装をまとい、空になった墓に屈みこんでいる女性がイサベラです。イサベラの死は冷静なルーベンスが感情の一端を露わにしました。悲痛なる手紙を友人に描いています。

「彼女は善良かつ高貴であった。その性質ゆえに彼女は皆から愛され、だれもが彼女の死を悼んだ。それは私を激しい感情でいっぱいにする大きな喪失である。
あらゆる苦悩の唯一の救済は忘却という時間のたまものである。私がいま、探し求めなければならないのは、彼女の助けである。私の心からの悲しみを取り去るのは困難である」

彼女を喪失したことは、ルーベンスにとって、それまでの人生最大の
空虚感を持ったことは、間違いないと思います。

余談ですが‥‥・

聖母大聖堂天井
聖母大聖堂天井

ルーベンスの時代には他の多くの画家がアントワープの大聖堂のために制作していますが 1647年交差塔(教会内で身廊、翼廊、聖歌隊席が交差する部分で八角形の構造です。)のためにコルネリス・スフットが聖母被昇天を描きました。
地上43メートルの高さにあって、聖母マリアが天に向かって召されていく光景が描かれています。高度な技術を要する天井画はあっぱれとしか言いようがないです。
すごい作家がフランドルには居たものです。観客は大いに魅せられます。教会の外から見ると高さ56メートルの交差塔は玉ねぎの形をしている構造です。

コルネリス・スフットによる『聖母被昇天昇天』まるで本当に天に昇っているよう…

聖母マリアは対抗宗教改革の重要な象徴となりました。プロテスタントがマリアの役割を最小化したことの反発もその一因。彼女の役割は人と神の間を執り成すことであり、中世では非常に愛されていました。反宗教改革ではカトリック主義がプロテスタント主義を凌駕するとみなしました。その勝利主義は少なからずマリア像によって表されました。

マリア被昇天の物語は、
布教のために様々な地方へ宣教していった12弟子たちにマリアが最後に会いたいと天使に頼んで、弟子たちが聖地に戻ってきました。
彼らはマリアの死とその3日後に彼女が墓から蘇り、天使たちに天国に連れていかれるところを目の当たりにしました。と、黄金伝説によります。
8月15日が昇天記念日です。

黄金伝説とは…
レゲンダ・アウレアとよばれ、13世紀のジェノヴァの大司教でドミニコ会士、
ヤコブス・ア・ウオラギネの著書(1236、7年頃完成した)キリスト教の聖人伝集、数々の伝説を集めた。中世ヨーロッパにおいて聖書に次いで広く読まれ、文化、芸術に大きな影響をあたえた。

オットー・ファン・フェーン
『最後の晩餐』350cm×247cm



ルーベンスの師 オットー ファン フェーンの作品
“最後の晩餐”1592年に描かれてここに所蔵されています。

聖母大聖堂 祭壇