ドミニコ派の修道僧の教会です。1256年からの古い教会です。
1968年に火事にあったにも関わらず、人々の協力で300年前の芸術品がそのまま残ったとのこと、来会者が多くいました。
ルーベンスが少年のころにこの教会の近所に住んでいたということで毎朝ミサに通ったであろう彼にも大変なじみのある教会でした。
また、司祭のオプホヴィウス(Ophovius)が友人だったようで、ロザリオ連作を二つ返事で承諾するほど思い入れのある教会でした。
こちらには、4枚のルーベンスの絵がありました。
祭壇の『論争』(もしくは『聖体の秘跡についての論議』)は、ルーベンスが1609年に描いています。
教父たち、敬虔な神学者たち4人が聖餅について論じています。円柱のある建物の前に集まっています。中央には聖体顕示台のある祭壇が見えます。階段下には法典のような書物が投げ捨てられて議論の迫力が伝わってきます。
『羊飼いの礼拝』マリアが幼子イエスのおくるみを持ち上げると 光が満ち満ちて皆が驚きます。こちらも1609年の作品です。
この教会には“ロザリオ連作”として15枚の絵が側廊にかけられています。
左から7番目がルーベンスが描いた『キリストの鞭打ち刑』です。1617年頃の作品らしいです。
『キリストのむち打ち刑』この世にあるキリストの姿を描いた絵の中では至高の作品であると認められているそうです。立体的描写、血の赤、筋肉の肉体美・・・。ルーベンスの専門家フロマンタンが言っています。
他にも、超有名な画家、ヴァン ダイク、ヨルダーンスなど13名の画家が描いていますが、ルーベンスが推薦したということです。
友人だった司祭オプホヴィウスの肖像画や棺の上の彫刻の下絵もルーベンスが描いたとのことでした。
ルーベンス
『Ophoviusの肖像』棺の上の彫刻もルーベンスが下絵を描いたとのこと
主祭壇の左の柱には“リマの女神”と呼ばれている彫像があります。南米ペルーのリマの港町カヤオを守るマリアの像です。港の象徴の錨が金色に輝いています。ここに至る物語を聞きたいものです。修道僧がこんな遠方まで宣教していた証です。
教会裏手に回ると、とても大きい教会だったということがわかりました。