ジェノヴァ~ジェノヴァの大邸宅とルーベンス

ジェノヴァは、16世紀に総督ドリアの下スペインと同盟を結び、欧州カトリック世界のメイン銀行となって金融業で繁栄しました。

ルーベンスの時代のジェノヴァのコイン

ルーベンスの時代のジェノヴァのコイン

スペイン国、ヴァチカン、イタリア諸公国、イギリス、フランドル、フランス、北ヨーロッパの諸侯も借りました。
金融業で成功した人々が個人、個人で大きな豪奢な邸宅を建築しだしました。
ジェノヴァ詣でをする世界中のお客様のための、いわばホテルが必要となり、16世期後半から17世期にかけて、富裕貴族が住む豪華な館、大邸宅を厳選し、“ロッリ”と呼ぶリストを作り、それらを国家の来賓の宿泊先としました。

フェラーリ広場

フェラーリ広場

1604年、マントヴァ公の使節としてスペインへ行った帰りに、ルーベンスはここを訪れています。
多額の費用がかさんだ相談をマントヴァ公の銀行家との交渉があったのかもしれません。
その後何回か1606年、1607年にもジェノヴァを訪れているようです。

それには、フランドルとジェノヴァは海路にて商業を通じての長いお付き合いがあったのです。

物流の交流は芸術の交流になっていました。
フランドルの画家も大勢ジェノヴァを訪れジェノヴァの画家たちに教えているのです。
人間は偉くなると肖像画を欲しくなるもので、画家たちは貴族に肖像画を頼まれました。

全身大の肖像画は大変人気がありました。

1607年の夏、マントヴァ公のお供でルーベンスもこの地を訪れた時に、貴族の館に咲くオレンジの花、ジャスミンの花の香りに感激したようです。
この頃からルーベンスは建築にも大変興味を持ち始め、アントワープで1622年『ジェノヴァの邸宅建築』という題名の本を出版しています。
また、結婚後アントワープで広大な館にジェノヴァ風の豪邸を建てていますので、その熱心ぶりが分かります。

1620~21年にかけて、ルーベンスの肝いりで弟子ヴァン・ダイクもジェノヴァも訪れています。

ルーベンスが憧れたスピノラ宮

ルーベンスが憧れたジェノヴァの大邸宅

トルシ宮