ルーベンスがヴェローナに滞在したという記述はお目にかからないが 「兄フィリップとヴェローナで会った。」という1行を見つけた。ヴェネツィアからマントヴァへ行くには当時もヴェローナを通過して行ったはずである。マントヴァは水に囲まれた町に訪れるルートが多いとは思えない。現在もヴェローナ発マントヴァ行きの電車が何本も出ているが、古の道路に沿って鉄道が敷かれたと想像する。
車窓からの風景はこれからの季節が美しいと思われる田園風景が広がっていた。ルーベンスはマントヴァへと旅路を急ぐ通過町として、横目で眺めながら心引かれていたのではないだろうか。今回は私の興味で留まることにした。
中世の趣を漂わすこの町は現在ユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録されている。
古代ローマ時代の円形競技場跡では、いつの頃からか夏にはオペラの野外劇場となって世界中から鑑賞に来るようである。“アレーナ デ ヴェローナ”と呼ばれ夏の夜を大賑わいにさせてアレーナのその昔を彷彿させてくれるであろう。“アイーダ””カルメン“”トーランドット“”セヴィリアの理髪師“などなど楽しませてくれるらしい。
遠い昔私が高校生だった頃、今取り壊しが終わり新しい工事が始まっている国立競技場で“アイーダ”の上演があり、観客席の上の方で見たことがあったが、象など大型動物が出てきて圧巻であった。素晴らしい企画力が当時の日本にあったのです!
ヴェローナは長い歴史を刻みながら何と15世紀からヴェネツィア共和国の支配下に置かれた。その頃はミラノ公国、ナポリ公国、フィレンチェ共和国、そしてヴェネツィア共和国の四つの国が大国として存在していた。ヴェネツィア共和国は国力が強いときに、農地を求めてここまで領地を広めていたのである。海洋国には穀物、野菜を自給する夢があったのであろう。
聖母教会の建築様式がビザンチン風であったのもヴェネツィアの影響があったことを想像する。驚くほど豪華な内装、一つ一つの礼拝堂の大規模なこと、祭壇画も立派である。昔日を偲ばせてくれるのに十分であり一見するのに値するのである。ルーベンスも驚いたことであろう。
数枚の写真を御目にかけましょう。
文章もうまいですね!写真もいいですね!
引き込まれます、どんどん続けて!
Veronaには2回行きましたが写真の教会は知りませんでした。
観光名所のジュリエットの館に触れていないのは潔いですね。