ヴェローナ その2~シェイクスピアを想う

シェークスピアはこの町、ヴェローナを舞台にして戯曲を書いている。

多くの観光客が訪れるジュリエットの家

多くの観光客が訪れるジュリエットの家

「ロミオとジュリエット」である。ジュリエットの家のバルコニーは今でも名所になっていて、沢山の若者たちがジュリエットの銅像の胸を触って写真を撮っていた。恋の成就を願っているらしい。家への入り口の高い壁にはギッシリと落書きがしてあった。縁結びの神様になっているのであろうか?

“ヴェロナの二紳士”という話もある。話の中ではマントヴァが逃避の場所。

そういえば、ヴェネツィアを舞台にした“ヴェニスの商人”もある。つくり話であるが、ユダヤ人が大きな商売を自由にできたのはヴェネツィアならではと思う。

古代ローマ時代から続くエルベ広場

古代ローマ時代から続くエルベ広場

“オセロ”もムーア人が元首になるのはあり得ない話という事だが、シェークスピアにはあり得ないことを劇的に書く才能があったのであろう。

シェークスピアは終生外国へ行った経験はないのに、なぜイタリアを舞台にした作品が多いのであろうか?
今回その謎が解けた。

当時シェークスピアの国、イギリスにイタリアの戯曲集がワンサと入ってきたらしい、むべなるかな、ヴェネツィアの出版業はイタリア中に急速に広がり、印刷物となって、外国にどーっと流れて行ったのであろう。

彼らイタリア人の情熱的な物語にシェークスピアは魅了され、それらを英語で戯曲化したのである。ネタがイタリアであったのが、異国の物語としてグローブ座を満員にしたのかもしれない。エキゾチック、メルヘンチック、ロマンチックなのが人気の秘密。

シェークスピアもルーベンスも同時代の作家、画家であるが、当時の人々は異国の逸話、伝説をアレンジすることは模倣作としてひんしゅくを浴びることはなかった。現代のように著作権だの違反だのと大問題になることはなかった。皆が能力に花を咲かせ世間に受け入れられれば成功であった。芸術の世界も同じで祭壇画に描かれているテーマは先輩の画家に描かれながら、後輩はそれを模倣しながら世につないで来たのである。

そのような時代であることも頭に置いておきたい。そういう時代があったことを忘れてはならないし、それが時代を表わすのである。シェークスピアの成功にイタリーの人々はどんな思いでいるのだろうか?
ヴェネツィアが英名ヴェニスになり、フィレンチェがフローレンス、マントヴァがマンチュア、フランドルがフランダースと地名までもが英語風に代わって覚えられているとは……

英国文学を専攻した私にとって シェークスピアは文学、戯曲の神様のような存在であるが、創作ではなかったことに一抹の残念さを憶えつつも大変納得したのである。

“ヴェローナ その2~シェイクスピアを想う” への2件の返信

  1. 鈴木大樹

    シェイクスピアと同世代のルーベンスが生き生きと描かれ、物語と絵画がヴェネツィアで結びつくとは素敵なことですね。
    私にとってマントヴァ聞きなれない地名でした、勉強します。
    ルーベンスの追っかけ素晴らしいことですね続けてください。
    もう一度ゆっくり鑑賞いたします
    ありがとうございました

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