ジーゲンと読みます。
ケルンから75キロメートル、ケルン中央駅から快速特急で1時間半の距離でした。高原風の山林、川、牧場を通過します。東京の新宿から中央線に乗って大月、甲府方面へ出ていくのと似ている風景かなと思います。かつては鉄鉱石を産出して栄えたそうです。
ここは ナッソー家という領主が治めていました。カトリックからプロテスタントに改宗した領主ウィレム・オレンジ公です。ネーデルランドがスペインの統治になることに反旗を翻し、ドイツ諸侯に援軍を求め、戦いに戦いを重ねネーデルランド北部を勝ち取り、現在のオランダを建国した方です。
そのためにプロテスタントを受け入れたのでしょう。度量の大きな方に違いありません。
ここがルーベンスの生誕の地なのです。
ところが、今ではカトリックの教会が圧倒的に多くて、「プロテスタントの教会は二つあるだけです。」とホテルの受付の女性のお返事でした。
山岳地帯らしく、駅をでるとかなりな坂を上ることになります。人々も口数少なく上るほどの勾配です。道路の左側にはお店、カフェが並び右側に大きな建物が建っています。
坂の途中に開けた場所があり、ある建物の正面にプレートを見つけました。ここは修道院で昔プロテスタントの住居だったとのことです。
そして、またプレートがありました。
ルーベンス生誕の地!ですって!
こんなに容易くめぐり合うことが出来るとは・・・びっくりして感激しました。
アントワープのにぎやかな都から離れて異国の地で、それも、厳しい気候の下に生まれたのだと思うと感慨も一入でした。現在の世界でも宗教難民はありますが、難民とは言わないにしても、少なくとも両親が宗教戦争から逃避しているときに生まれた子、ルーベンス!
ご両親の信仰は・・練達、忍耐、試練、希望・・・パウロの言葉を思い浮かべます。お仲間がいて助け合って生きていたのかしら・・・・カルヴァンの信仰を強く信じる友達が沢山いたのかしら・・・・と往時を偲びます。
生誕の地からまだまだ登坂を上ります。upper hillと呼ばれるところにオーベルス シュロスがあり、入り口も小さく見栄えがしませんでしたが、ここが美術館でした。
昔のお城のようです。美術館の中は撮影禁止でした。貴族の館だった部屋、部屋にルーベンスの絵が大小織り交ぜて10枚くらい飾られ展示されていました。撮影禁止とは驚きました。まるで日本の美術館のようです。警備の女性が手持ち無沙汰に行ったり来たりしていました。
一枚大きな絵がありました。ルーベンスのこんな大作をどのように手に入れたのかと聞いてみましたら、国から貸与だとのことでした。
ルーベンス工房の手によるものが多い印象です。
「キモンとペロ(ローマの慈愛)」も、アムステルダム国立美術館にあるものと似ています。
『ルーベンス展』で出展されていましたね。
「キリスト降架」は、ローマに行く前の作品のようです。
「平和は愛によってもたらされる」は、初めてみる作品です。恐らくイギリスで外交活動をしていた際に描かれたものと思われます。勉強不足で寓話が表す物語を解明できていません。
自画像も、オーストラリア国立美術館にあるものと似ています。
写真撮影が禁止の割にはパンフレットも印刷物もなくて、まだ受け入れ態勢が確立していないようでした。部屋の中にいる方もあまり英語が得意ではないようで、何もお知らせできないのが誠に残念です。
ここジーゲンには1才になるまでしかおらず、10歳まで育ったのはケルンでしたのに、ルーベンスの生誕地として脚光を浴びて観光客が来るようになり、ジーゲンの市としても対応せざるを得なくなった感じです。
美術館には地下があり、昔の鉄鉱石の堀場、作業場を見学することも出来ました。1944年に閉山した町が今、ルーベンスでよみがえろうとしています。ジーゲン市の努力が伝わってきました。
Sigerlandmuseum in OberenShlossサイトより、美術館に飾られていたルーベンスの絵画