師へ宛てたヴェネツィアからの手紙

Rubens_selfpotrait* オットー・ファン・フェーン先生

やっとヴェネチアに到着しました。元気でおります。色彩的に魅了されております。
偶然ですが、一人の紳士と出会いました。その方は、マントヴァ公国から来た方でした。
自分の画をお見せしたところ、マントヴァ公ゴンザガ公爵に取り次いで下さるとのことでした。アントワープから推薦状も持参していることから、この好機が実現すれば、まことに幸運と希望が湧いてきました。

フラーリ教会でティツィアーノという画家の描いた祭壇画を見ました。
ヴェネチアは湿気が強いためフレスコ画が向いていなくて、船の帆布に描かれているとのことです。ヴェネチアならではですね。

祭壇画は“聖母被昇天”がテーマです。色彩の美しさ、構図の素晴らしさに感動しました。
画家はすでに亡くなっていますが、ヴェネチア生まれの画家ですので、ヴェネチア人の誇りとしてフラーリ教会に永遠に飾られていくことでしょう。

ヴェネチアは画材が豊富です! 続きを読む →

母に宛てたヴェネツィアからの手紙

Rubens_selfpotrait*母上、

その後お元気ですか?
やっとヴェネツィアに到着してほっとしております。天気も良く本当に美しい街です。海と空と建物が一体となって絵画のようです。
季節が良いのかすべて輝いて見えます。

一番の観光地、聖マルコ寺院へ行きました。
イエスの12弟子の一人マルコの遺骨はエジプトで買われ、ヴェネチアに持ってこられ、ドージェという元首が個人の教会を建てて祀ってました。
ドージェの館も中の装飾が素晴らしいとの評判です。
運河では ゴンドラという瀟洒な舟に乗りイタリア民謡を歌いあげ盛り上げてもらいました。

今年は1600年で聖地巡礼が奨励されて、人々はヴェネツィアからエルサレムへ向かうので港は繁盛しています。

書きたいことが沢山ありますが今日はこれくらいにしてまたお便りします。
私は 元気でおりますのでご安心ください。
母上もどうぞお体大切にお願いいたします。

貴方のパウルより

※若きルーベンスが故郷にあてた手紙を想像して書いています。

ヴェネツィア

 

ヴェネツィアはヴェネツィア共和国の中心地であり、地中海の交易で莫大な富を得て15世紀に全盛期であったとのことだが、当時のままの姿と変わっていないことを観光案内で読んだ。

リアルト橋からの景色

リアルト橋からの景色

リアルト橋は今でも観光の名所であり、カメラポイントであり特にアルノ川の夕景は美しい。立ち並ぶ売店にはカメオは見かけることが少なく、お土産にも流行り廃りがあって、時代性を感じる。

すでにここでは13世紀に、海外への定期商船の航路があったようだ。
遠くコンスタンチン―ブルから黒海へ行く船。キプロス、シリア、パレスチナへの航路、エジプトのアレキサンドリア航路、そして西はロンドンを経てフランドル航路があったとのこと。まさに経済世界の一大中心地であった。

ヴェネツィアで最も古いといわれるサン ジャコモ ディ リアルト教会

ヴェネツィアで最も古いといわれるサン ジャコモ ディ リアルト教会

栄えた第一の理由は、信教の自由都市であったこと。
すなわち、貿易の相手の国、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ギリシャ正教、プロテスタント、エジプトなど商売相手のいかなる宗教とも差別することなく付き合った。
そのおかげで香辛料、銀、顔料、木材、穀物、毛織物、絹織物、奴隷までも高価な商品が取引され商業は拡大されたという事である。まさにヴェネィアはコスモポリタン都市だった。

また、水の怖さを知っている彼らは 神の恩寵を願い、また感謝して多くの教会を建てているが、それはカトリックの法皇に属するものではなくて、修道院、聖人、聖なる遺物を祀り独自の教会に信仰が篤かった。ローマカトリックとは一線を引いていたようだ。

「ヴェネィアは神ならぬ人間の作った最高の街」と言った人がいた。
「ヴェネィアは海と結婚した」という言葉があり、その祝日もある。
水の上に浮かぶロマンチックな雰囲気を伴うが、その裏には集団に頼ることなく、自分で上手に生きようとするバイタリティを感じる。

ドゥ・カーレ宮殿内部

まばゆいばかりに光輝くドゥ・カーレ宮殿内部

ドゥ・カーレ宮殿と呼ばれるドージェの館は官邸であったが、大評議室に描かれた壁画をルーベンスも目にしたであろうか。
まばゆいばかりのルネッサンス・ヴェネィア派の画家たちの作品をみて、フランダースから来た若きルーベンスはさぞかし驚いたことであろう。

ティントレット『ヴェネツィア称揚』(1584年)

ティントレット『ヴェネツィア称揚』(1584年)

ルーベンスが影響を受けたといわれるティツィアーノ・ヴェチェッリオによる『祈りを捧げるグリマーニ総督』(1575-1576年頃)

ルーベンスが影響を受けたといわれるティツィアーノ・ヴェチェッリオによる『祈りを捧げるグリマーニ総督』(1575-1576年頃)

ティントレットの
『ヴェネツイア称揚』

ティツイアーノの
『祈りを捧げるグリマーニ総督』

パオロ・ヴェロネーゼの『ヴェネツィア礼賛』

パオロ・ヴェロネーゼ『ヴェネツィア礼賛』(1585年)

パオロ・ヴェロネーゼ『ヴェネツィア礼賛』(1585年)

他にも、まばゆい絵画が豪邸を飾っていた。
一方で、 地下には往時をしのばせて奴隷用の牢獄も備わっており、栄光に隠れた影の部分も知ることができた。
往時をしのぶよい機会となった。

ビザンチン様式のサン・マルコ寺院は、首長ドージェ個人が建てた教会である。
その丸い天井にかかれた黄金のモザイクが燦然と輝いていた。

光り輝くサン・マルコ寺院入り口

光り輝くサン・マルコ寺院入り口

ホテルをチェックアウトするとき ラゲージを運ぶことを依頼した。運河が目の前なので舟で運ぶのかと思っていたのだが・・・

若いポーターが大きなスーツケースを駅まで運んでくれたので、階段もラクチン

若いポーターが大きなスーツケースを駅まで運んでくれたので、階段もラクチン

ホテルの前に運び屋が待っていた。駅までラゲージ一個5ユーロだという。
アルバイト風の青年が二人で荷車に乗せて運んでくれた。かつての東京駅の赤坊さんを思いだし仕事師の有難かったこと!グランデ カナルと小さな運河に架かる橋も軽く超えることが出来た。階段状の橋の下には冷たい冬の鉛色の水面がうねっていた、ふと我が家の東京の目黒川の色と重なった。

サンタルチア駅に到着。
私には映画の思い出がある。キャサリーン・ヘッバーン主演の“旅情”である。
中年のアメリカ女性がヴェネチアに観光に来て、リアルト橋付近の商店主(ロッサナ・ブラッツイ―)としばしの恋が咲くのであるが、別れの時が来る。この男の俳優さんは私の大好きな映画“若草物語”の中のベア先生なのだ。
彼は非常にドイツ的と思っていたのにイタリア人でした! 別れを惜しむクライマックス場面がこの駅なのである。
甘くも美しいメロディーを思い出しながら私もお別れをした。

“I dream of a summer time~~~”

アリべ デルチ ヴェニス

サンタルチア駅

サンタルチア駅

プラド美術館展~ルーベンス『泣く哲学者ヘラクレイトス』

ペーテル・パウル・ルーベンスの工房『泣く哲学者ヘラクレイトス』

ペーテル・パウル・ルーベンスの工房『泣く哲学者ヘラクレイトス』(1636-38年)

プラド美術館で出展されていたルーベンスの絵画、3点目は『泣く哲学者ヘラクレイトス』です。

フェリペ4世が、マドリード郊外のトーレ・デ・ラ・パラーダ(狩猟休憩塔)のために注文した絵画の中の一点で、『笑う哲学者デモクリトス』と対をなす絵とのこと。

ペーテル・パウル・ルーベンス『笑う哲学者デモクリトス』(1636-38年)プラド美術館

ペーテル・パウル・ルーベンスの工房『笑う哲学者デモクリトス』(1636-38年)プラド美術館

古代ギリシャ哲学からのモチーフで、17世紀当時は、「笑うデモクリトス」と「泣くヘラクトイレス」のどちらの世界観を是とするか論じられていたようです。

世の中の虚栄、人類の愚行を前に、
ヘラクレイトスのように過剰に深刻に物事をとらえるよりは、
デモクリトスのように運命を受け入れ、それを制御する賢明さを身につける重要性が説かれた(『プラド美術館展図録』p.96)とのこと。

古代の哲学者といっても、泣き顔が人間らしい自然な表情で、特に涙を浮かべている目、頬杖をついている腕や交差している足の表現にはルーベンスらしさが表されていると思いました。
ルーベンスはどちらの哲学に共感していたのでしょうか。
終わらない戦争に心は涙していたような気もします。

なお、ベラスケスがこちらの対の絵を意識して、古代ギリシャの哲学者『メニッポス』と寓話作家の『イソップ』の対の作品を描いたそうです。

ルーベンスを尊敬し、ロールモデルとしていたディエゴ・ベラスケスの絵を堪能できるプラド美術館展は、5月27日(日)までです。

プラド美術館展~ルーベンス『アンドロメダを救うペルセウス』

こちらも、今回のプラド美術館展に出展されていた作品です。

ペーテル・パウル・ルーベンス、ヤーコブ・ヨルダーンス『アンドロメダを救うペルセウス』

ペーテル・パウル・ルーベンス、ヤーコブ・ユルダーンス『アンドロメダを救うペルセウス』(1639-41年)

1639年フェリペ4世が注文したもので、こちらの作品はほとんどルーベンス自身で仕上げていたとのこと。
(ヤーコブ・ヨルダーンス仕上げとあるが・・・)
会場の説明には、絶筆とありました。

こちらは、ギリシャ神話のお話で、
生贄として岩場につながれていたエチオピア王女アンドロメダを救う英雄ペルセウスを描いたものです。

目を奪われるのは、やはり女性の美しさ。
英雄を誇示する男性的なものでは、
長く続く戦争は終わらないということを
ルーベンスは自らの体験から達観していたのではないかと私は思っています。

平和を心から願っていたルーベンス。
この作品を通して、ルーベンスは真・善・美を表現したのではないでしょうか。