アントウェルペン 聖母大聖堂 『キリスト昇架』

1609年、イザベラ・ブラントと結婚し、幸せを得たルーベンスのもとに、大きな依頼が入りました。

現在は、アントウェルペンの大聖堂に飾られている『キリスト昇架』です。
もともとは、聖ワルブルガ教区教会から依頼された主祭壇画で、1609年から1610年にかけて制作されました。

キリスト昇架 1610-11年 アントウェルペン聖母大聖堂

キリスト昇架
1609-10年
アントウェルペン聖母大聖堂

1610年といえば丁度ルーベンスが33才の時で、キリストの十字架の受難の年と重なります。
この教会は1792年フランス軍の侵入で破壊され、『キリスト昇架』祭壇画はフランス軍に持っていかれたのですが、
その後返却され、ここ聖母大聖堂に移り展示されています。
(強奪された際に、上部と下部が切り取られてしまったようです)

依頼主のパトロン(責任者)は、コルネリウス・ファン・デル・へ―ストという美術愛好家で香料商人でした。
キリストは力強く肉付けされた裸体像です。
キリストの体も人間味あふれる肉のキリストとして描かれています。
ヨハネ1:14、「言葉は肉となって、私たちの間に宿られた。」と聖書に書かれている通り、ルーベンスのキリストは肉となった神です。

ルーベンスは、バチカンのピオ・クレメンティーノ美術館に所属されている大理石製の古代ギリシャ彫像「ラオコーン像」をモデルに使っています。
「ラオコーン像」はギリシャ神話におけるトロイアの神官ラオコーントその二人の息子を題材とした彫刻作品です。
トロイア戦争の際、「トロイの木馬」作戦に反対したラオコーンは、ギリシャ神話の女神アテナの怒りを買い、両目をつぶされた上に、海に潜む2頭の蛇の怪物に襲われたという神話です。

ルーベンスがデッサンしたラオコーン像

ルーベンスがデッサンしたバチカン美術館の「ラオコーン像」

その他、ローマにあった古代ギリシャ・ローマの彫像、システィーナ礼拝堂の裸体青年をデッサンした精進の蓄積がここに現れています。

対抗宗教改革として、カトリックはプロテスタントの異議申し立てに応えて、カトリック教会側では、聖書の出来事を描く場合は正確さを旨とするよう命令を下しました。
聖書に書かれている通りを重視したのです。

ルーベンスもその命令に従い、この作品を描いています。

例えば、左のパネルの聖マリアと聖ヨハネですが、ヨハネ19:25節に書かれているように「マリアは目を上げていて(中世の時代は気を失っている場が多かったが)毅然と立っている」ように描かれています。

ここでトリプチック(三連祭壇画)の説明をさせていただきます。

トリプチックとは、北ヨーロッパで好まれた祭壇画の形式で画面が3面で構成されています。
中央パネルと左右のパネルを蝶番でつなげてあります。
左右の画面を閉じればその裏に描かれた違う場面を鑑賞できる仕組みとなっていまして、合計5枚の絵画を目にすることも出来ることです。
教会行事に倣い週日は閉じて置き、日曜日と祝日に開くようです。

この『キリスト昇架』のトリプチック祭壇画の大きさは両翼を合わせると、幅、6.4メートル、高さ4,6メートルもあります。
1610年においては未曽有の大きさでした。

キリスト昇架 1610-11年 アントウェルペン聖母大聖堂

P.P.ルーベンス『キリスト昇架』
1609-10年
アントウェルペン聖母大聖堂

中央図・・・4.62m×3.4m
中心的主題『キリスト昇架』は中央図いっぱいに書かれています。
キリストがゴルゴダの丘で十字架を立たせて刑が執行されるところを描いています。それは、マルコによる福音書 15:25-30 に基づいているのです。

午前9時にゴルゴダの丘についたイエスは、赤い外套をはぎ取られて裸にされて、手足に杭を打ち込まれて十字架にかけられました。
十字架の一番上のところに細かい文字が書かれた紙が貼りつけられています。
これは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で「ユダヤの王、ナザレのイエス」と描かれて罪状です。
ルネッサンス絵画では ラテン語のスペルの頭文字・イニシアル「INRI」と描かれることが多くありました。
8人の執行人たちも筋肉粒々です。

キリスト昇架 左翼

キリスト昇架 左翼

左翼  4.62m×1,5m
<聖母と聖ヨハネと女性たち>には聖母、と洗礼のヨハネが励ましあい、怖れつつ事態を見守っています。
前に書きましたように、マリアはただただ堅忍不屈なる精神で立っています。悲しみにくずおれる姿ではなく、この姿が当時迎え入れられました。悲しげな女たちと子供たちの人群れがいます。マルコによる福音書15:40

 

 

キリスト昇架 右翼

キリスト昇架 右翼

右翼  4.62m×1.5m
<盗賊とローマの兵士たち>では、葦毛の馬上のローマ指揮官が二人の盗賊に刑を執行する姿を描出しています。マルコによる福音書15:27、ルカによる福音書23:32-42

これらの画にはルーベンスのイタリアでの経験がたっぷりと活用されています。キリストの姿と渾身の力をふるう刑吏たちの姿には古代彫刻とミケランジェロの影響が明らかです。ラオコーンや裸体青年像の模写が生きていて、キリストの姿に気高さと悲壮感を与えています。ルーベンスのキリストの両腕を高く上げ、天を見上げる筋骨たくましい姿は、これからの磔刑に勝利するキリストのイメージとつながっています。

両翼の外側には、生前アントワープで過ごしフランドルで尊敬された4人の聖人―アマンドゥス、(7世紀、聖ワルブルガ教会の設立者)、と聖女ヴァルプルガ(8世紀、彼女は隠者として教会で暮らした)、エリギウス(アントワープの鍛冶屋の守護聖人)と聖女カタリナ(殉教の印の棕櫚を持っている)が天使たちと描かれています。

キリスト昇架 背面

キリスト昇架 背面

キリスト昇架 背面

ローマ~ヴァチカン

ルーベンス展も終わりに近づいているが、
こちらは、若きルーベンスを追いかけたイタリア旅行に話を戻そう。

カトリックの総本山はヴァチカンである。

ヴァチカン

ヴァチカン サンピエトロ寺院前

一国をなしていることは、我が国においても千代田区麹町に「ヴァチカン市国大使館」の表札がかかるお屋敷があることで納得する。

そのヴァチカン国がローマの都市の一角に存在することさえユニークである。
歴史は意外に新しく1929年のラテラーノ条約でヴァチカンは独立国になったとのことである。
テヴェレ河をはさんで町と反対側に位置しているが、サン・ピエトロ寺院はローマのこの地で殉教した聖ペテロの墓の上に建てられている。
ヴァチカンの土地自身が殉教者の広大な墓があったと言いう事である。
ルーベンスはこのサン・ピエトロ寺院の完成された姿は見ていないようである。
ラファエロ、ミケランジェロラの手を経て1626年に完成したらしい。広場の完成はもっと後のことである。

世界最大級の博物館がヴァチカン博物館である、法王の居城であるヴァチカン宮殿内にあるあらゆる宝物がここに展示され公開されている。
見学コースが出来ており、つながっているので指示に従って動いていれば総見できる仕組みである。
回廊にあるヘレニズム彫刻の傑作、ラオコーンに会うのに随分と時間がかかった。
何と最後のピオ・クレメンティーノ博物館にあった。ルーベンスの角度を変えての模写の実像に会えたのだ。

ルーベンスがデッサンしたラオコーン像

ルーベンスがデッサンしたラオコーン像

システィーナ礼拝堂は特に見逃せないので オフシーズンであるが7時半に入れるツアーに予約を入れた。
貸切状態といってよいほど静かに、長い時間をかけて堪能した。(写真撮影不可)
新法皇を決めるコンクラーベもこの間で行われる。
ルーベンスも仰向けになって見惚れたのであろう。

一番に入り、人のいない地図の間

一番に入り、人のいない地図の間

ラファエロ アテナイの学堂

ルーベンスも見たであろう、ラファエロ アテナイの学堂

ラファエロの間の天井

ラファエロの間の天井

故郷フランダース産のタペストリーをルーベンスはどのような思いで見たであろうか

故郷フランダース産のタペストリーをルーベンスはどのような思いで見たであろうか

圧巻の彫像や大理石の器

圧巻の彫像や大理石の器

人が絶えない美術館内

人が絶えない美術館内

法王も通るというシスティーナ礼拝堂からサン・ピエトロ寺院へ通じる階段

法王も通るというシスティーナ礼拝堂からサン・ピエトロ寺院へ通じる階段

サン・ピエトロ大聖堂内 ミケランジェロ『ピエタ』

サン・ピエトロ大聖堂内
ミケランジェロ『ピエタ』