アントウェルペン 聖母大聖堂『キリストの復活』

1611~12年、『キリスト降架』と同時期に、ルーベンスは、印刷業・出版業で有名なモレトゥス家の礼拝所の主祭壇画として、三連祭壇画『キリストの復活』を描きました。
これは、学校時代からの友人、バルタザール・モレトゥスとの関係から引き受けたのでしょう。二人の親交が深かったことは、現在は博物館になっているプランタン・モレトゥス印刷博物館にルーベンスが描いた肖像画が飾られていることからよくわかります。

この祭壇画は、ヤン・モレトゥスの墓の為に、未亡人マルティナからの依頼で、描かれました。
今でも、聖母大聖堂の主祭壇の裏にある有力な個人や家の礼拝所が並んでいますが、その一つに、飾られています。

中央パネル:キリストの復活
左パネル:洗礼者ヨハネ
右パネル:聖マルティナ

モレトゥス家礼拝所

P.P.Rubens 『キリストの復活』

<キリストの復活>
キリストが、十字架に磔られた3日後、イエスが復活したところが描かれています。
墓から、筋骨隆々のイエスが力強く立ち上がり、その光輝く姿に、見張りの兵士たちが恐れおののいています。
イエスは、自分を包んでいた亜麻布を肩からかけただけの姿で、勝利の赤い旗を左手に、右手に天国に生えていたヤシの葉を持っています。
脇腹には、刺された後も見られます。

この描写は、マタイによる福音書第28章の記載の通りです。
「さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。
すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。
その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。
見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。」

プランタンが興した印刷所を継ぎ、盤石なものとした娘婿ヤン・モレトゥスの墓として、最適なモチーフだったことでしょう。

夫婦の守護聖人がそれぞれ両翼に描かれています。

洗礼者ヨハネ
P.P.Rubens 『洗礼者ヨハネ』

左パネル:<洗礼者ヨハネ>
欧米人のファーストネームは、守護聖人から取ることが多いようで、ヤンという名前の守護聖人は洗礼者ヨハネですので、描かれたようです。
このヨハネも筋骨隆に描かれています。
ヨルダン川のほとりに立っていて、
足元の剣は聖ヨハネの斬首を表しているそうです。

 






P.P.Rubens 『聖マルティネス』

右パネル:<聖マルティナ>
こちらも、依頼主マルティナ・プランタンの守護聖人なのでしょう。
勝利のシンボルであるヤシの葉を持って、正面を見ています。後ろには、太陽神アポロの神殿が見えます。


この両翼を閉じると、二人の天使が描かれているそうです。












P.P.Rubens 『キリストの復活』

アントウェルペン 聖母大聖堂 『キリスト降架』

続いてご紹介するのは、『キリスト降架』です。

キリスト降架 1611-14年 アントウェルペン聖母大聖堂
キリスト降架
1611-14年
アントウェルペン聖母大聖堂

『キリスト昇架』が完成して間もなく、アントワープ聖母大聖堂に祭壇を持っている市民護衛団の火縄銃射手組合という伝統ある団体から依頼を受けました。
恐らく、1566年の偶像破壊(イコノクライシス)で攻撃され破壊していたのでしょう。
1611年3月、北オランダとの休戦協定の締結の2年後、ルーベンスは名誉ある礼拝堂の祭壇画の制作依頼を受けました。
パトロン(責任者)はこの組合の長で、アントワープの市長を務めたニコラース・ロコックスでした。

三連祭壇画、板に油彩
依頼されたときルーベンスは34才でした。

中央図 中心的主題:キリスト降架
左翼:聖母マリアのエリザベト訪問
右翼:エルサレム神殿への奉献
両翼の外側:<聖クリストフォロス><隠者>

聖クリストフォロスーキリストを担う者
聖クリストフォロスーキリストを担う者

この祭壇画の制作にあたって、教会の会堂参事会という祭壇画を管理する組織と市民護衛団との間で図像について話し合いが行われました。
聖母教会の鉄砲ギルドの守護聖人は聖人クリストフォロスですが、トリエント公会議で崇敬が認められなくなりました。
何とかして地元の地域でなじみのある信仰の聖人の描出を人々は願いました。
それゆえ、ルーベンスは、日曜、祭日に閉じられる祭壇画の外側に描くことにより教会との折り合いを付けました。
そのうえ、ある学者がクリストフォロスはギリシャ語の語源に“キリストを運ぶ人”の意があることをのべて、みなの納得のいく祭壇画となりました。
すなわち、この祭壇画にはキリスト(この世の光)と、彼が、胎内にある時、出産後お宮参り、十字架へと「運ばれている」という確立されたテーマがありました。

トリエント公会議について説明いたします。
公会議とは、世界中の大司教や司教などの聖職者が集まって教義と教会規則について審議決定する会議です。1545年から63年に行われたトリエント公会議は「対抗宗教改革」ともよばれ、バチカンが招集した当初はプロテスタントとの和解の模索であった、だが、和解にはつながらず、結果的には、カトリック教義を確認して、より保守的な立場になった。(バチカン近現代史、松本佐保著)

画面を見ていきましょう。

キリスト降架 1611-14年 アントウェルペン 聖母大聖堂
キリスト降架
1611-14年
アントウェルペン 聖母大聖堂

中央図:中心的主題 キリスト降架 4.2×3.1m
亡くなったキリストの体を囲んで一群れの人々が十字架から降ろして布で包もうとしている場面です。
赤い色の外套をまとったヨハネが椅子に足をかけて、キリストの遺骸を支えています。
椅子の上にはニコデモがいます。
十字架の横木から身をのりだしている二人の男がいます。

キリスト降架 マリア
キリスト降架 マリア

マグダラのマリアとクロパのマリアは十字架の下にひざまずいています。聖母マリアは青白い顔をしながら息子イエスを支えようとしています。
マリアの描出に注目します。死んだ息子を見る痛みに打ち勝ったとは決して言えませんが、愛おしい目をして、わが子に触れようとしています。
悲しみに崩れおれるマリアでなく、死んだ息子を見る痛みに打ち勝ち、すっくと立っているマリアの姿は堅忍不屈の精神として当時迎えられた新しい姿です。パトロンの市民護衛団と教会の司祭、そして画家との話し合いで決まったこととのこと、祭壇画として凛々しいマリアの登場の最初のものです。(マルコによる福音書15章、42~47節)

儀式的な荘厳さのうちに十字架からキリストの体が低く降ろされる。マリアとお気に入りの弟子ヨハネと罪の悔悛のマグレーナのマリアの待ちわびる腕にゆだねられます。キリストの銀色に輝くような体は、犠牲的な死により罪深い人間を救う古典的神話の死または死に瀕している姿の想起と融合します。
キリストの体はルーベンスがラオコーン(ギリシャ神話のトロイアの神官の名前で、この古代彫刻がローマのヴァチカン美術館にあり、ルーベンスがこの像を、角度を変えて熱心にデッサンしました。)のポーズを逆にしたものです。異教世界とキリスト教世界の区別を超え、ラオコーンの死はキリストの受難に変わりました。痛々しい姿ですが、肉となった若き神の死に際してのぐったりとした最後の姿をありのままに描かれています。

ルーベンスの作品に、古代ローマのイメージから、ローマカトリックのイメージへと図像表現の変容が見られるのです。これがルーベンスの真骨頂です。

キリスト降架 左翼
キリスト降架 左翼

左翼:聖母のエリサベト訪問 4.2×1.5m
橋の上の玄関で身籠ったマリアが従姉のエリザベートを訪れています。彼女のお腹には洗礼のヨハネが宿っています。彼女らには夫のヨセフとゼカリヤアが付き添っています。旅の品物が入ったかごを持った侍女は、マリアとヨセフが泊まりに来たことを示しています。
ルカによる福音書:1:39-44
・・・その頃、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリヤの家に入ってエリザベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリザベトが聞いた時、その胎内の子がおどった。エリザベトは精霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子様も祝福されています。主のお母さまが私のところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子供は喜んで踊りました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方はなんと幸いでしょう。」
マリアの賛歌が続きます。美しい詩の形式になっています。

キリスト降架 左翼
キリスト降架 左翼

右翼:エルサレム神殿への奉献 4.2×1.5m

生まれたイエスを両親がエルサレム神殿へ奉献しているところです。ユダヤの寺院では最初に生まれた男の子は神に捧げられ聖別される習慣があります。幼子イエスは司祭長シメオンの腕にゆだねられています。
「主よ、今こそあなたは、お言葉通り、この僕を安らかにさらしてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。これは万民の為に整えて下さったのです。」(ルカによる福音書:2:25~38節)
黒い柱の前でシメオンとマリアの間に84歳の年を取った預言者アンナが現れる。
「そのとき、近づいてきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼子のことを、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々に語り聞かせた。」(ルカによる福音書:2:38)に述べられていることを視覚化して臨場感溢れるものにしています。

キリスト降架に描かれた
ロコックス
キリスト降架に描かれた
ロコックス

シメオンは祭司長になってまばゆいばかりの金色と赤の法衣を身にまといお祝いムードを演出しています。跪いたヨセフは伝統的な供え物である二羽の鳩を持っています。84才の女預言者アンナの姿もあります。友人であるロコックスの助力に感謝してシメオンの後ろにロコックスの肖像が描かれています。

両翼の外側:<聖クリストフォロス><隠者>

キリスト降架 背面
キリスト降架 背面 聖クリストフォロス
キリスト降架 背面
キリスト降架 背面 隠者「光」を運んでいる

本作品は、カトリックの祭壇画のモデルとして、広く影響を与えました。
受難と聖体拝領の視覚化として、敬虔な信者の感覚と精神に訴えました。

『キリスト昇架』『キリスト降架』の2枚の大トリプチックの画は、ルーベンスの名声を確立し、北ヨーロッパ随一の画家とみなされるようになりました。

アントウェルペン 聖母大聖堂 『キリスト昇架』

1609年、イザベラ・ブラントと結婚し、幸せを得たルーベンスのもとに、大きな依頼が入りました。

現在は、アントウェルペンの大聖堂に飾られている『キリスト昇架』です。
もともとは、聖ワルブルガ教区教会から依頼された主祭壇画で、1609年から1610年にかけて制作されました。

キリスト昇架 1610-11年 アントウェルペン聖母大聖堂

キリスト昇架
1609-10年
アントウェルペン聖母大聖堂

1610年といえば丁度ルーベンスが33才の時で、キリストの十字架の受難の年と重なります。
この教会は1792年フランス軍の侵入で破壊され、『キリスト昇架』祭壇画はフランス軍に持っていかれたのですが、
その後返却され、ここ聖母大聖堂に移り展示されています。
(強奪された際に、上部と下部が切り取られてしまったようです)

依頼主のパトロン(責任者)は、コルネリウス・ファン・デル・へ―ストという美術愛好家で香料商人でした。
キリストは力強く肉付けされた裸体像です。
キリストの体も人間味あふれる肉のキリストとして描かれています。
ヨハネ1:14、「言葉は肉となって、私たちの間に宿られた。」と聖書に書かれている通り、ルーベンスのキリストは肉となった神です。

ルーベンスは、バチカンのピオ・クレメンティーノ美術館に所属されている大理石製の古代ギリシャ彫像「ラオコーン像」をモデルに使っています。
「ラオコーン像」はギリシャ神話におけるトロイアの神官ラオコーントその二人の息子を題材とした彫刻作品です。
トロイア戦争の際、「トロイの木馬」作戦に反対したラオコーンは、ギリシャ神話の女神アテナの怒りを買い、両目をつぶされた上に、海に潜む2頭の蛇の怪物に襲われたという神話です。

ルーベンスがデッサンしたラオコーン像

ルーベンスがデッサンしたバチカン美術館の「ラオコーン像」

その他、ローマにあった古代ギリシャ・ローマの彫像、システィーナ礼拝堂の裸体青年をデッサンした精進の蓄積がここに現れています。

対抗宗教改革として、カトリックはプロテスタントの異議申し立てに応えて、カトリック教会側では、聖書の出来事を描く場合は正確さを旨とするよう命令を下しました。
聖書に書かれている通りを重視したのです。

ルーベンスもその命令に従い、この作品を描いています。

例えば、左のパネルの聖マリアと聖ヨハネですが、ヨハネ19:25節に書かれているように「マリアは目を上げていて(中世の時代は気を失っている場が多かったが)毅然と立っている」ように描かれています。

ここでトリプチック(三連祭壇画)の説明をさせていただきます。

トリプチックとは、北ヨーロッパで好まれた祭壇画の形式で画面が3面で構成されています。
中央パネルと左右のパネルを蝶番でつなげてあります。
左右の画面を閉じればその裏に描かれた違う場面を鑑賞できる仕組みとなっていまして、合計5枚の絵画を目にすることも出来ることです。
教会行事に倣い週日は閉じて置き、日曜日と祝日に開くようです。

この『キリスト昇架』のトリプチック祭壇画の大きさは両翼を合わせると、幅、6.4メートル、高さ4,6メートルもあります。
1610年においては未曽有の大きさでした。

キリスト昇架 1610-11年 アントウェルペン聖母大聖堂

P.P.ルーベンス『キリスト昇架』
1609-10年
アントウェルペン聖母大聖堂

中央図・・・4.62m×3.4m
中心的主題『キリスト昇架』は中央図いっぱいに書かれています。
キリストがゴルゴダの丘で十字架を立たせて刑が執行されるところを描いています。それは、マルコによる福音書 15:25-30 に基づいているのです。

午前9時にゴルゴダの丘についたイエスは、赤い外套をはぎ取られて裸にされて、手足に杭を打ち込まれて十字架にかけられました。
十字架の一番上のところに細かい文字が書かれた紙が貼りつけられています。
これは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で「ユダヤの王、ナザレのイエス」と描かれて罪状です。
ルネッサンス絵画では ラテン語のスペルの頭文字・イニシアル「INRI」と描かれることが多くありました。
8人の執行人たちも筋肉粒々です。

キリスト昇架 左翼

キリスト昇架 左翼

左翼  4.62m×1,5m
<聖母と聖ヨハネと女性たち>には聖母、と洗礼のヨハネが励ましあい、怖れつつ事態を見守っています。
前に書きましたように、マリアはただただ堅忍不屈なる精神で立っています。悲しみにくずおれる姿ではなく、この姿が当時迎え入れられました。悲しげな女たちと子供たちの人群れがいます。マルコによる福音書15:40

 

 

キリスト昇架 右翼

キリスト昇架 右翼

右翼  4.62m×1.5m
<盗賊とローマの兵士たち>では、葦毛の馬上のローマ指揮官が二人の盗賊に刑を執行する姿を描出しています。マルコによる福音書15:27、ルカによる福音書23:32-42

これらの画にはルーベンスのイタリアでの経験がたっぷりと活用されています。キリストの姿と渾身の力をふるう刑吏たちの姿には古代彫刻とミケランジェロの影響が明らかです。ラオコーンや裸体青年像の模写が生きていて、キリストの姿に気高さと悲壮感を与えています。ルーベンスのキリストの両腕を高く上げ、天を見上げる筋骨たくましい姿は、これからの磔刑に勝利するキリストのイメージとつながっています。

両翼の外側には、生前アントワープで過ごしフランドルで尊敬された4人の聖人―アマンドゥス、(7世紀、聖ワルブルガ教会の設立者)、と聖女ヴァルプルガ(8世紀、彼女は隠者として教会で暮らした)、エリギウス(アントワープの鍛冶屋の守護聖人)と聖女カタリナ(殉教の印の棕櫚を持っている)が天使たちと描かれています。

キリスト昇架 背面

キリスト昇架 背面

キリスト昇架 背面